大動脈解離になった父が手術5時間で助かった話!生存率や予後の生活は?

大動脈解離手術

わたしの父が大動脈解離という病気で救急搬送されました。

命に関わるとても恐い病気だと医師に告げられ不安の中で過ごしました。

ICUに入院から絶対安静、症状が変わり緊急手術への移行。

手術にかかる時間や費用、大動脈解離の原因や分類生存率などさまざまなことを学びました。。

何かのお役に立てれば良いなと思い詳しく書いていきたいと思います。

 

 

目次

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父が救急車で運ばれる

子供を保育園に送って行った時に父の携帯から着信がありました。

こんな朝早くになんだろうと思い出てみると聞こえてきた声は父の声ではなく救急隊員からのものでした。

背後では「ピーポーピーポー」というサイレンが聞こえていました。

緊張が走りとっさに思ったことは父が交通事故を起こしたのではないかということ。

意識不明の重体なのではないかと思い不安でいっぱいになりました。

しかし救急隊員の話によれば胸の痛みを訴えた父が自分で救急車を要請したとのこと。

現在も意識はあるとのことでひとまず安心したのを覚えています。

父は現在実家にひとりで暮らしています。

とにかくすぐに病院に来てくださいということだったので子供を送って出勤する予定でしたが急遽職場に連絡をして病院に向かいました。

救急処置室に向かいしばらく待つと父と面会することが出来ました。

その場で医師から告げられた病名は「大動脈解離」でした。

 

大動脈解離の原因は?

大動脈解離とはどんな病気かというと

心臓から出ている最も大きな血管が大動脈といいます。

太さは直径で約2~3cmほどあるようです。

この大動脈はバウムクーヘンに例えられて内膜、中膜、外膜の3層の壁で出来ていて血管の壁に亀裂が出来てそこから血液が入り込むことによって血管の膜が裂けてしまう病気とのことでした。

父の場合は心臓のそばからお腹の方まで血管が裂けてしまっていたようです。

それも前兆があったわけではなく一瞬にして裂けてしまったようです。

父は朝食を自分で作りいつも通り食事をしたようですが、その直後に急に胸に激痛が走ってうずくまり全く動けなくなりました。

症状は痛みが胸からお腹のほうにどんどん広がっていったようです。

父は携帯ですぐにわたしの姉に電話をしたようですが繋がらず、近所に住む友人にも電話をしたけど繋がらなかったために、救急車を呼んだようです。

1分1秒を争う病気なので結果的には救急車を呼んで大正解だったので姉も父の友人も電話に出られなくて良かったと後で胸をなでおろしていました。

救急車が来る前に亡くなってしまう方もいるようです。

大動脈解離の主な原因は高血圧や不摂生、喫煙、姿勢などにより背中が曲がっているなどを医師が上げていましたが、わたしの父は低血圧、酒もたばこもやらない、生活習慣は規則正しい、姿勢も悪くないということでどれにも該当していなかったため医師も首をかしげていました。

当日の朝は非常に寒かったので気温差などの問題もあったのではないかなと思います。

ヒートショックには気をつけたいですね。

 

大動脈解離の分類

父は運ばれてすぐに緊急処置室で点滴をして痛み止めを始めました。

大動脈解離はA型とB型に分類されるとのことです。

A型とは

心臓からすぐのところから解離が始まっている場合はA型

A型は外科的緊急手術が必要

B型とは

心臓から少しは離れたところから解離が始まっている場合はB型

B型の場合は内科的治療を選択

 

父の場合はA型だったのですが、裂けたところに入り込んだ血液が固まっていたため、そのままノリのようになって血管の壁がくっついて治っていく傾向がみられたので内科的治療をすることになりました。

入院はICU(集中治療室)で絶対安静が必須でした。

血管の壁が薄くなっているため、いつ破裂してもおかしくない状況です。

とにかく自分の力で動いてはいけないので寝返りをうつのも看護師に頼んでやってもらわなければなりません。

血圧が上がらないように血圧を下げる薬を定期的に投与し、管理していきます。

順調にいけばICUを1週間で出られるとのことでした。

 

しかし大動脈解離にはいくつかのリスクがありました。

大動脈から3本に枝分かれした血管が脳の方に行っています。

  • この血管が解離した壁に押されて詰まってしまう恐れがあること。
  • 胸部の解離からの刺激で胸に水が貯まり肺に酸素がいかなくなること。
  • 厳重な安静体制に精神的に耐え切れずに錯乱状態になる恐れがあること。

いずれも命にかかわることで大動脈が破裂をすれば即死してしまうということでした。

少しでも症状に変化が見られたら外科的緊急手術に切り替えるとのことでしたが、手術に間に合わずに亡くなってしまうこともあるという話も聞かされました。

とにかく何事もなく無事に1週間過ぎてくれたらと願うばかりでした。

 

 

入院3日目緊急手術に変更!術後の生存率は!?

入院初日と翌日は何事もなく無事に過ごせていたようでした。

入院3日目わたしは仕事が休みだったので午後にでも病院に面会に行こうと思っていました。

その日の朝病院から電話があり容態が変わったため緊急手術をするのですぐに来てくださいとの連絡がありました。

散々命に関するリスクを聞かされていたわたしは手術と聞いただけでもう駄目なのではないかと思いました。

車で病院に向かう途中、もう父と話が出来ないのではないかととても悔やんでいました。

病院に着くと手術を担当する医師から説明がありました。

朝になって急に痛みをぶり返しMRIをとったところ解離内に血液が流れ込んでしまっている状態だったようです。

このままでは危険なので緊急手術を行うとのことでした。

大動脈解離の生存率とは

A型の場合生存率は48時間で50%

        2週間で20~30%

B型の場合生存率は2週間で80~85%

A型に緊急手術を行うと生存率は80~90%

とのことでした。

亡くなる主な原因は破裂、閉塞、心筋梗塞、脳梗塞などがあるそうです。

 

手術の時間や内容は

心臓からすぐの大動脈を人工血管に置き換えるというもの

手術時間は6~8時間

人工心肺を使用して心臓が止まった状態にする

体温を20度近くまで下げて仮死状態にして行う

というものでした。

この日は運悪く姉も子宮の手術をする日で本当は父が手術の立会いをする予定でいました。

父が行けなくなってしまったためわたしが変わりに姉の付き添いをする予定でしたが父が緊急手術することになり急遽叔母に頼んで姉の手術の付き添いに行ってもらいました。

父と姉が同時に別の病院で手術を受けるとい異例のことが行われました。

わたしの母は10年ほど前に大腸がんを患い亡くなっています。

わたしの身内は父と姉だけなのでその2人が同時に手術をするということがわたしにとってはとんでもない出来事でした。

姉の手術は内視鏡での手術だったので30分ほどで終り術後の痛みもなく問題なく終わったとの連絡がありひとまず安心しまし
た。

父のほうは親戚も集まってくれてしばらくみんなで手術が終わるのをひたすら待っていました。

10時半に始まった手術でしたので早ければ16時半、遅ければ18時半頃に終わることになります。

待っている間に医療費のことが気になったので市役所に問い合わせしてみることに。

高額医療制度の申請を事前にやっておいた方が支払いの時に免除された金額での請求になるから良いと叔父がいうので聞いてみました。

父は現在70歳を超えているため高額医療制度を事前申請する必要はなく限度額44,400円までしか医療費はかからないとのことでした。

食事代や個室に入った場合の差額ベッド代は医療費には含まれません。

70歳未満の方の場合は事前に高額医療制度の申請をしておくと支払いが楽になるようです。

そうして待っていると手術が終わったとの連絡が来ました。

時間は15時半で予定時間よりも1時間早く5時間で終わりました。

手術室を出て行く父を見送りながら先生が「無事予定通りにね」といって去っていきました。

手術が無事に済んだんだと少しほっとしました。

それから間もなくして担当の先生から説明がありました。

手術は無事に成功した。

明日の朝までに意識が戻れば人工呼吸器を外せる。

ただし肺の機能が弱く酸素を上手く取り込めないのが事前に分かっているので人工呼吸器を外せなくなることもある。

とにかく様子を見ながら対処していくということでした。

その日は叔父と叔母が病院に泊まってくれたので一旦わたしは家に帰りました。

 

 

手術後ICUからHCUへ

手術の翌日再び病院に向かいました。

朝の面会では人工呼吸器を付けた父が苦しそにいました。

少しずつ人工呼吸器の回数を下げていって自分で呼吸できるようにしていくそうです。

話が出来ない父は指で何かを書いています。

何だろうと一生懸命読み取ると

カタカナで「ハズシテ」と訴えていました。

よっぽど苦しかったのでしょうね。

父にこのことを後で話したら全く覚えていないとのことでした。

意識がまだ朦朧としていたのでしょうね。

その後なんとか人工呼吸器も無事に外せるようになりました。

少し話が出来るかなと面会して初めて父が話したのが「何時?」でした。

「12時半だよ」というと

「夜中?」と言われ

「お昼のだよ」と言いました。

「手術して1日たったよ」と言いました。

まだこの頃の父は朦朧としていたようです。

手術後も順調に回復していったため1週間後にはICUより少し重度の低いHCUに移動になりました。

ICUにいたころの話を後で父に聞くと精神的にかなりおかしくなっていたようです。

医師から聞いていた通り錯乱状態になって看護師に暴言を吐いたり、精神科への入院を相談したりしていたというので驚きました。

ICUにいるときはずっと幻覚が見えていたようです。

普段では思いもつかないような芸術的な映像が目の前に繰り返し広がったりしていたとのことでした。

大量の薬を摂取していたのもあるので薬が作用して幻覚を見せていたのではないかとも考えられます。

 

最後に

現在父は一般病棟に移り退院も決まっています。

一時は命を落とすのかと思っていましたが今では自分で歩けるようになってシャワーを浴びたり、売店で買い物もしているそうです。

今の病院は昔とはだいぶ変わってきています。

コンプライアンスを徹底しているのでしょうね。

医師は想定されるリスクは全て家族に話をします。

それによって説明を受ける側は過剰にリスクばかりが頭に入ってきてしまうような傾向はあるかと思います。

わたしの場合は本気で父が助かる可能性は低いと思っていました。

説明を1から10まできっちりした後は説明を聞きましたという署名を毎回必ず書かされます。

問題が起きたときの対策なんでしょうね。

看護師も何かあるたびに「ありがとうございます」と言ってきます。

とても丁寧に応対してくれました。

病院もサービス業的になってるのかなと思います。

無事に退院を迎えられる父。

病院に運ばれてから1ヶ月弱で退院できることになります。

とても早かったなという印象です。

とはいえ大動脈解離とはとても危険な病気であることには変わりません。

父はとてもラッキーでした。

予後も10種類の薬を飲み続けなければなりません。

血圧を高くしないように今後は塩分や脂肪分をかなり控えめにした食事にも気を配っていかなければなりません。

適度に体を動かすことも大事です。

誰にでも起こりうる病気なので気温差の激しいところでの血圧の上昇などにはくれぐれも気をつけなければいけないなと思いました。

 

※追記

大動脈解離予後の生活は?

父が手術をしてから、約1年が経過しました。

退院後は1ヶ月ほど安静にしていましたが、その後すぐに仕事に復帰して現在でも週に2日ほどのペースで働いています。

食事は塩分の取りすぎには注意しているようですが、必要以上に気にしているようには見えません。

普段は大好きな温泉などによく出掛けていますし、友達と遊んだり海外旅行にも行きました。

薬はあいかわらず続けているようで、ときどき通院はしているようです。

特に後遺症のようなものも今はないと言っていました。

毎日とても元気に暮らしています。

 

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コメント

  1. 山崎 イチ子 より:

    ありがとうございました。8月6日に大動脈解離になり、現在ICUに入っています。血圧管理をしています。今日から、リハビリをするといわれました。まだ2日です。様子を見て手術するといわれています。大変心が落ち着きました。
     初めの救急病院で「狭心症・心筋梗塞」でない、検査の結果異常な数字は出ないので、帰宅していいといわれましたが、「あくび」が始まり昏睡に入ると思いこんな状態で帰れません、検査をしてくださいとお願いし「大動脈解離」が見つかりまた、救急車で心臓外科医の総合病院に搬送されました。現在はそこに入院しています。今回と、貴方さまの体験で心が落ち着きました。感謝申し上げます。

    • mattsuu より:

      山崎イチ子様
      コメントありがとうございます。
      退院してからの父は1ヶ月後には仕事を再開して現在とても元気にしています。
      山崎様はご自分の判断で検査をされて本当に良かったと思います。
      早く退院されますことお祈りしております。

  2. 玉井 基水 より:

    小生も2年前の11月末に全く同じ症状で背中をカッターナイフで切られる様な痛みでした。
    救急車で近くの新東京病院へ搬送され即手術でした、ICUで全く同じ幻覚症状に悩まされました。
    しかし、
    後で理解出来ましたが、小生がこの新東京病院に搬送された事が本当にラッキーでした、この病院には ”中尾副院長” という方がおり、心臓血管外科の超エキスパートだと知りました。
    普通であれば、もうこの世には居ない私!
    この病気大変怖い病気です、寒くなって行く季節、皆さん注意しましょう、みなさんの健康を祈ってます。

  3. しー子 より:

    一昨日、私の父も突然背中が痛い、呼吸ができないと苦しみだして救急搬送、緊急手術となり、大動脈解離と診断されました。
    お医者様に呼ばれ、あと2~3時間で命を落とされます、手術室までたどり着けるかどうかと言われた時には絶望しましたが、10時間の予定の手術が5時間で終わり、一命をとりとめ、今はICUにおります。
    今後のことなど大変参考になりました。
    家族みんなで父の回復をフォローしていこうと思います。
    ありがとうございました!

    • 高橋修一 より:

      こんにちは❗私も大動脈解離Aで仕事中倒れて背中の激痛で7時間の手術で人工血管を入れて、今、仕事に復帰してます、62才1人者です、回復しても、人工血管と自分の血管の相性も有るので、激しくは動かない方が良いと思いますが、私は体の方は順調に回復してます、ただ全身麻酔の長時間の手術だったので脳梗塞、物忘れ、自分の性格が変わったような気がします、自分の病状の判断はおかしいと思いますが、あまり気にせず生きてます、ただ太り過ぎ、血圧の検査は、まめに、していきましょう、お互い頑張りましょう。

  4. 中谷香 より:

    すみません✨私の母親はスタンフォードA型で亡くなりましました。だから、こういった投稿をみると、正直辛いです。申し訳ありません、

  5. 中谷香 より:

    大動脈解離で助かるケースばかり、コメントしていますが、そうではないケースも沢山あります。私は医療従事者です。母親は88歳でした。二次救急でA型がみつかり、三次救急に運ばれました。手術をしたくても年齢的なこともあり、高いリスクを背負って生きるのか、つまり超高齢者には手術に耐えられる力があるか、ないか、
    私は医師の説明で後者を選びました。
    人は必ずいつかは亡くなります。それはわかっていて、是が非でも助かってもらいたい、そう思うものです。助かった人はまだ、この世で使命を任された人、不幸にしてなくなった人は自然の摂理によって、別の世界へと任された人。私はそう思ってます。
    反論しているわけでは毛頭ありません。ただ、この病の残酷さを抱え、悲しみから立ち直れない人も数多くいるということを知ってほしい。そう思い、投稿しました。