私には娘、息子二人の子供がいます。
娘が幼児期に私が感じていたことは‘‘子育てが楽しくないかわいいと思えない’’ でした。
なんで娘は私の言うことを聞いてくれないんだろう、なんで私だけこんな苦労するんだろうと考えてました。
娘の事は愛していたけれど素直に愛情表現ができない私がしでかした失敗と後悔・・・ ある人との出逢いで子育てをやり直すことができました。
失敗しても後悔してもいいんです!
失敗に気づきやり直したいという気持ちがあれば子育てはいつからでもやり直せます。
目次
強い母親でいれば子供は言うことを聞くと思っていた当時の私の子育て
1歳から保育園に入れ仕事に復帰した私がまず感じたのは、日中娘といた時間からの開放でした。
仕事が楽しくて仲間といるのが楽しいそんな毎日でした。
そんな私に園長先生からのきつい言葉・・
「お母さんの愛情が足りないからこんな(悪い)事するのよ、もっと愛して抱きしめてあげて」
この言葉は卒園する間際まで言われ続けました。
こんなこと言われ続けてたら母親はおかしくなります。
だから私は、強い母親でいれば娘は言うことを聞くと思いました。
私は娘に弱みを見せず、つねに命令形で話、つねに怒ってました。
娘の問題行動はエスカレートするばかり、でもこの時はまだ自分の失敗に気づいてなかったのです。
娘の子育てが失敗だったと後悔した
私の子育てでは子供もおかしくなるのは時間の問題でした。
小学校では友達に怒鳴ったりひどいことを言ったり、職員室に呼ばれたこともありました。
あ~子育て失敗したかな~と後悔しました。
でもどうやり直せば良いかわからないし、強い母親でないと娘がどんどん悪い方向に行くのではと不安でした。
そんな時長男が産まれました。
この時の私は、‘‘何時間見ていてもあきず、寝息を聞いてるのすら安らげるし、なんてかわいいんでしょ~’’です。
ひどい母親ですよね。
小学4年生の娘にも言われました。
「お母さん私の時とぜんぜん違う、私のことをそんな優しい顔で見てくれたことなかった。」と
そんな事ないないない!と思いましたが私もわかっていたのです。
私はひどい母親だったと。
私が間違っていたとようやく気がつきました。
娘の子育てを失敗したのではなく、私の子育てに対する考え方が失敗だったと。
それからは後悔後悔後悔の日々。
そんな時、一枚のチラシが目につきました。
恩師との出逢いが私の子育てを変えた
長男を産んでまもなくしてチャイルドマインダーという資格にについてのチラシが目にとまり、すぐ電話して申し込みしました。
子育て中の人や、孫育て中の人、この資格を生かして仕事をしたい人など、さまざまな年齢層の方々が集まったスクールになりました。
変わった講義の進め方で、一つの題材からみんなが意見を言い合うディスカッション形式でした。
そこで私は大泣きしてしまったのです。
娘との関係が最悪だったこと、私が娘を厳しくしすぎておかしくなってしまったこと、子育てを失敗してしまった、でもやり直すには遅いかもしれないし、私はすべて話しみんなも泣きながら聞いてくれました。
話し終わったあと、講師の先生が、
「子育てに失敗なんてないよ、やり直しはいつでもできる、遅いなんてことはない、あなたがそのことに気づいてやり直したいと思ったことが大事なのよ」
「あなたが変われば子供も変わってくるよ」
私は子育てのやり直しの前に私自身変わる努力をしました。
まず娘に謝りました。
「強い母でいなくてはいけないという気持ちが間違っていた、甘えたいときに甘えさせてあげれなくてごめんなさい」と。
少しずつですが娘との関係は良くなっていきました。
親も間違った事をしたときには素直に謝る。
私はラッキーだったと思ってます。
恩師との出逢いがあったから私は気づくことができ変われたのだから。
その後娘とは思春期にいろいろありましたが今は自立も自律もできています。
一応子育ての最終目標はクリアしました。
あの時私が変わっていなかったら今頃どうなっていたでしょう、最悪の関係になっていたかもしれません。
まとめ
今回は私の失敗談を誰かの参考にして欲しい!という気持ちで書きました。
子育ての最終目標は
・・・自立(自分だけで物事を行う、親元から離れて自立する)
・・・自律(自分をコントロールできる)
このことができる大人になるよう私達母親は日々子育てに奮闘しているのです。
私は娘の子育てが楽しめなくてイライラの毎日でしたが、こんな私が今では子育て支援をしているんです。
そう!大人も変われるんです!
これではダメだ、と思ったらいろいろな人の話を聞いたりセミナーに出てみたり、母親自身が変われば自然に子供は変わってくるのです。
私の失敗談を読んで ‘私も変わりたい!’‘まず私が変わらなくちゃ!’と思ってもらえたらうれしいです。
ピンチはチャンスです!あなたが変わるチャンスを子供がくれたのです。